2004年 11月 24日
The Motorcycle Diaries |
cognitive psychの友人にThe Motorcycle Diariesを観に行こうと誘われた。"I was told by a number of people that this is a good film. Plus the actor is very handsome. I was told." ペーパーの締め切りを3つかかえてあまり余裕がないのだが、不純にも彼女からのメール(の特に後半)に惹かれてみにいくことに即決。
時は1952年。ブエノスアイリスの医学生エルネストは、友人のbiochemistで陽気なアルベルトと一緒におんぼろバイクで南米大陸を横断する無謀な旅にでる。最初は広い大陸と未知なる国を冒険していく若者の熱い旅行記なのだが、旅を進めるうちに2人は次第に社会のひずみや国境を越えた南米としてのつながりを意識しだして変化していく。
旅の終盤、2人はハンセン病患者の隔離施設を訪れる。病人との間に明確な境界を引こうとする修道女達の方針にとらわれず、2人は患者達と同じ目線で触れあい、心を通わせ合っていく。旅発つ前夜、エルネストは患者達と共に最後の晩を過ごそうと、患者の住む世界とそれ以外の世界を分かって流れる大きな川を無謀にも泳いで渡ろうとする。喘息持ちのエルネストにとってそれはまさしく無謀以外の何者でもない。だが、いくら無謀でも、泳いで渡らないといけない時があることを痛感させる行為だった。
映画自体は、それから2人がそれぞれの道へと進んでいく場面で終わる。エルネストがその後キューバの革命指導者として革命のために戦い、最終的には殺されたというテロップが流れて、この映画がチェ・ゲバラの手記に基づく実話だったことを(恥ずかしながら)初めて知った。
2人は旅の途中、貧しい夫婦と共に砂漠で野宿する。夫婦は、コミュニストだという理由で家を追われ、仕事を求めて鉱山に働きに行く途中だった。生きるために旅をせざるを得ない彼らに、何のために旅しているのかと問われ、"I'm traveling just...to travel."と答えながらエルネストは目をふせる。
まさしく私も普段、切迫した理由に縛られず、気ままにその場その場を精一杯旅しているようなものかもしれない。それ自体、非常に恵まれた立場におかれていることの証なのだと思う。でも、旅の先にある何かを目指すことの価値を素直に認めさせてくれた映画だった。(単に私が単純なのかも?)
時は1952年。ブエノスアイリスの医学生エルネストは、友人のbiochemistで陽気なアルベルトと一緒におんぼろバイクで南米大陸を横断する無謀な旅にでる。最初は広い大陸と未知なる国を冒険していく若者の熱い旅行記なのだが、旅を進めるうちに2人は次第に社会のひずみや国境を越えた南米としてのつながりを意識しだして変化していく。
旅の終盤、2人はハンセン病患者の隔離施設を訪れる。病人との間に明確な境界を引こうとする修道女達の方針にとらわれず、2人は患者達と同じ目線で触れあい、心を通わせ合っていく。旅発つ前夜、エルネストは患者達と共に最後の晩を過ごそうと、患者の住む世界とそれ以外の世界を分かって流れる大きな川を無謀にも泳いで渡ろうとする。喘息持ちのエルネストにとってそれはまさしく無謀以外の何者でもない。だが、いくら無謀でも、泳いで渡らないといけない時があることを痛感させる行為だった。
映画自体は、それから2人がそれぞれの道へと進んでいく場面で終わる。エルネストがその後キューバの革命指導者として革命のために戦い、最終的には殺されたというテロップが流れて、この映画がチェ・ゲバラの手記に基づく実話だったことを(恥ずかしながら)初めて知った。
2人は旅の途中、貧しい夫婦と共に砂漠で野宿する。夫婦は、コミュニストだという理由で家を追われ、仕事を求めて鉱山に働きに行く途中だった。生きるために旅をせざるを得ない彼らに、何のために旅しているのかと問われ、"I'm traveling just...to travel."と答えながらエルネストは目をふせる。
まさしく私も普段、切迫した理由に縛られず、気ままにその場その場を精一杯旅しているようなものかもしれない。それ自体、非常に恵まれた立場におかれていることの証なのだと思う。でも、旅の先にある何かを目指すことの価値を素直に認めさせてくれた映画だった。(単に私が単純なのかも?)
by goblue1
| 2004-11-24 14:35
| 映画等