2004年 11月 11日
Klaus Fiedler |
ハイデルベルグからKlaus Fiedlerが講演にやって来るというので、個人的に研究の話ができる時間をとってもらえるように頼んでおいた。多忙なスケジュールの中、何とか願い叶って話をしてもらうことができた。
それまでに何人もの人とのmeetingをはしごし、その間に講演もこなしているので、さぞかしお疲れだろうと、申し訳なく思っていた。実際、自己紹介をして握手を交わすか交わさないかのうちに彼は既に腰をおろしていた。しかし話し出してみると、非常に精力的に次から次へと理論的な可能性や課題を列挙してくれ、こちらが口を挟む余地がないほどの勢いだった。何と言っても、文化に対して彼なりの理論を持っており、真っ向から文化を見据えようとしていることに驚かされた。自分が直接研究していない分野に対しても、あれだけ関心を持ち、独自の枠組みで捉えようとする姿勢があるからこそ、視野の広い研究・理論が可能になるのかもしれない。
それにしてもドイツ人の教授に対して(私が一方的に)親近感を覚えがちなのは、アメリカにおいては外国人同士だと無意識のうちに感じているからだろうか?
それまでに何人もの人とのmeetingをはしごし、その間に講演もこなしているので、さぞかしお疲れだろうと、申し訳なく思っていた。実際、自己紹介をして握手を交わすか交わさないかのうちに彼は既に腰をおろしていた。しかし話し出してみると、非常に精力的に次から次へと理論的な可能性や課題を列挙してくれ、こちらが口を挟む余地がないほどの勢いだった。何と言っても、文化に対して彼なりの理論を持っており、真っ向から文化を見据えようとしていることに驚かされた。自分が直接研究していない分野に対しても、あれだけ関心を持ち、独自の枠組みで捉えようとする姿勢があるからこそ、視野の広い研究・理論が可能になるのかもしれない。
それにしてもドイツ人の教授に対して(私が一方的に)親近感を覚えがちなのは、アメリカにおいては外国人同士だと無意識のうちに感じているからだろうか?
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by goblue1
| 2004-11-11 13:55
| 研究